2011年5月18日

幻想の安心感とTwitterの新機能

家族や同僚にアカウントがバレる? ツイッターユーザーが大困惑という記事が出ていたので次のようなツイートをした。

匿名云々以前に見られて不都合なことを公開されているtwitterに書くのが間違い。おすすめされなくとも見つかる場合は見つかるんだから。これで騒ぐのであればクローズドなSNSに移るか、protectして使えばいい。

すると以下のようなご意見をいただいた。

うーん、ちょっと論点がズレてる気が。職場や家庭とは独立に構築してきた活動履歴や人間関係、アカウントの存在そのものを秘匿してた人が、突然それをオープンにされて(その材料を提供されて)動揺してるのが今なので。protectでもクローズドなSNSでも話としては同じです。
返答はtwitterでもしたけど、言いたいことは長文になるのでここにも書くことにする。

まず前提を考えるとtwitterでアカウントを持ってツイートするというのは世界に向かって匿名、実名問わず情報を発信することである。つまり、書いた事柄はprotectedなアカウントでない限りはアクセスコントロールなしに誰でも見られる状態になる。つまりtwitterの情報というのは秘匿されている情報ではない。

ここで、今回の変更でパニックを起こしている人というのは、その秘匿が安全であると信じていたので、その存在が家族バレ、会社バレした、ということであろう。

実際はアクセスコントロールがないtwitter上のアカウント情報の安全性というのはたかがSecurity through obscurity(秘匿によるセキュリティ)であり、検索も簡単にできてしまうtwitterではそれさえも満たしていない。

本当に万人に見られて困るような事柄であれば、twitterにそれを発言しないか、もしくは発言内容で個人が推測できるような情報をtwitterに書き込まないというぐらいの配慮がなされていないということでもあり、自業自得であるとも言える。(また、例えtwitterがこの機能を有効にしなくとも検索などですでにアカウントの存在は既知であったかもしれない。)

反対に今回の件でいかに信じていた安心感が幻想であったか、いい啓発になったのではないかと思う。幻想の安心は無防備な状態よりもタチが悪い。

匿名であれ、実名であれ、ネットの発言にはそれなりの責任とリスクが伴うということだ。